Ananda Yoga

お寺でヨガ|ヨガインストラクター養成エッセイ

お寺でヨガを行うことの意義

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お寺でヨガを行うことの意義について

日本にはお寺とコンビニでは、どちらが多くあると思いますか?

平成29年の調査によると、お寺は全国に約7万7千カ寺、コンビニは約5万5千軒と圧倒的にお寺の数の方が多いようです。しかしながら、生活の中で目に入ってくるのは圧倒的にコンビニの方が多く、それだけ現代の人にとってお寺は縁遠い存在であると言えるのではないでしょうか。かくいう私も、お寺に嫁ぐまではお寺に対する関心も仏教に対する興味もほとんどなくお寺とはあまり縁のない現代人の一人でありました。

そんな私ですが、島根県の田舎のお寺に嫁ぎ、地域の方々がお彼岸やお盆、命日といった節目には必ずお墓やお寺にお参りし、200回忌や時には300回忌の法事も当たり前に行なう姿に触れるうち、お寺を大切に思うようになり守っていかなければいけないという使命感が芽生えました。

しかしながら、このような田舎でも若い人のお寺離れは急速に進んでいます。

なんとかお寺に足を運んでもらいたいと模索する時「お寺でヨガがしたい。」という声をいただいたのです。

それも一人ではなく複数の方から時々言われたのです。お寺に足を運んで欲しいという私とお寺に来てヨガがしたいという地域の方の想いの方向が一致し、ヨガの勉強をするに至りました。

講座の最初には『ヨガはお寺と相性が良いんですよ。』という話しを聞き、また世間一般でもお寺や地域のイベントでは『お寺ヨガ』という案内を目にする機会が多くあり、疑うことなく『お寺でヨガをする』ことを目指していました。しかし、ヨガはそのもの自体素晴らしいものであり、どこであろうと実践し続ければ効果を得ることができるのに、それをあえて縁遠い『お寺』でやることの意義はどこにあるのか、それを考えてみたいと思います。

お寺という場所

お寺に来られる人からは「落ち着く。」「ここでぼーっとしていたくなる。」といった声がよく聞かれます。

私自身、夕暮れ時の境内にふとたたずんだ時など、なんとも言えない心地よさを感じることがあります。そういった感覚をもたらすのは、お寺が“その場所にあり続ける動かないもの”であるからだといいます。

人にとって周辺の環境の変化は、心にも混乱を招くことが知られています。街並みや建物の変化が著しい現代において、昔からずっとその場所にあるお寺は、心のよりどころとして安心感を与えてくれると考えられるのです。また、お寺は非日常的な空間であり、日頃背負っている役割や家庭での評価や判断から自分を解放してくれます。

つまり、自分をありのままに認められる場所なのではないかと考えられるのです。

逆に、「お寺に来ると背筋が伸びる。」と言われる人もいます。

お寺の修行には様々なものがありますが、その根底には『今に打ち込む』という精神があります。坐禅であろうが、日々の作務であろうが滝行であろうが、とにかく、今この瞬間に一生懸命に取り組むのです。「背筋が伸びる」のはそういった精神を感じ取っているのかも知れません。

そして、お寺は仏教の教えを説く場所であります。仏教の教えとは何か?お釈迦様の言葉を短い詩にして集めた《ダンマパダ》にはこのような一節があります。

「因果関係によって作り出されたすべてのものは苦である」と智慧によって見るとき、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。

苦しみを作り出しているのは自分自身の心の悪い要素(煩悩)であり、自分自身の努力でで煩悩を断ち切ることが真の幸福を手にする唯一の方法であると書かれています。

また、道元禅師は仏道をこう説いています。

仏道をならうといふは 自己をならふなり 自己をならふというは 自己を忘るるなり

仏道において“僕”や“私”といった意識が生まれる前のありのままの世界に立ち返るとき、かけがえのないこの人生において歩むべき道が明らかになると言うのです。

仏教とは、絶対的な苦悩の中で生きる私たちが、心に平安を保ち、安穏な人生を歩んでいくための道を教えてくれるものだということになります。

お寺でヨガを行なう

ここまで、お寺という場所についてみてきました。

そのお寺という場所の特徴がヨガを行うときにどのように影響するのかを考えてみました。

まず、一つ目に、今に打ち込むという精神の根付いたお寺には、ヨガに集中しやすい雰囲気があると考えられます。

二つ目に、ありのままの自分でヨガを行なえるため、すでに“自分”という殻の幾つかを脱ぎ捨てた状態にあり、より本来の自己に気づきやすいのではないかと考えられます。

三つ目に、安心感のある場所で行なう事が出来るのでアーサナの効果を引き出しやすいのではないかと考えます。

四つ目、心の平安を保つことは、心の作用をコントロールすることであると考えられます。また、自己を忘るることは本来の自己に気づくことだと考えられます。ヨガも仏教も根底にある考え方は同じであり、ヨガをお寺で行なうのは理にかなっていると考えます。

これらの点からお寺でヨガをやることの意義は、相乗効果をもたらす可能性を秘めているということになるのではないでしょうか。

特に、禅の考えの中でヨガを実践するのはとても自然なことのように感じ、お寺という立場から考えても、ヨガの実践は仏教の教えに触れることに繋がるのではないかと思いました。

お寺が人に求められるような場所となるよう、ヨガと仏教を大切に過ごしていきたいと思います。

ヨガとの出会いに感謝!


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