Ananda Yoga

瞑想の種類と効果|ヨガインストラクター養成エッセイ

瞑想その種類と効果

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瞑想~その種類と効果~


テーマ設定の理由

ヨガの定義は、ラージャヨガ、ハタヨガで異なるが、最終的には心への働きかけとして瞑想を行うことは共通である。今回の実技の課題では、「ビジネスパーソンを対象とした朝の瞑想のためのヨガ」をテーマとしたので、エッセイでは瞑想について取り上げたい。

ヨガの瞑想(アナパナ瞑想)の指導を受けた時に生じる疑問として、他の瞑想と何が異なるのかというものがある。現代の日本人が思い浮かべる他の瞑想としては、例えば以下のようなものが挙げられる。

 1.慈悲の瞑想
 2.サマタ瞑想
 3.ヴィパッサナー瞑想
 4.坐禅
 5.マインドフルネス

1~3は、テーラワーダー仏教における瞑想として日本でも紹介されているもの、4は禅宗の他、日本の他の宗派でも行われているものであり、私自身、前者は独学で後者は一時期指導を受けたことがある。5については様々な情報が入り乱れているが、個人的には、「昨今流行状態にあるとも言える瞑想法で、1~4の瞑想法に含まれる宗教的な部分を排除した技術として流布されているもの」と理解している。

ヨガに合わせて瞑想のワークショップや指導を行う場合には、参加者からこれらの違いを問われるのではないかと感じるし、私自身の疑問でもあったので、エッセイのテーマとして取り上げた。


現代における各瞑想法の概要

上で示した瞑想の他ヨガのアナパナ瞑想を含む6つの瞑想についてはそれぞれ、具体的手法、効果、歴史的背景などが紹介されているが、今回調査した範囲でそれらを以下の様にまとめてみた。

現段階で整理が付いた個人的な結論は、仏陀の時代に行われていたヨガにおける瞑想が、それぞれの哲学(または宗教)別に目的や手法を説明する試みの過程で細分化され、細分化されたそれの具体的技法は、差別化および時代の要請に対して変化していく教義に合わせて変化したものだということである。

これらは、現代の瞑想の手法としては、A:集中の瞑想(サマタ瞑想)=集中力を高める、B:気づきの瞑想(ウィパッサナー瞑想)=心の安定、C:慈悲の瞑想に大別できると考える。ヨガの瞑想はA、仏教各宗派の瞑想は、AからCで到達段階の差を反映しているものであったと推測する。Aは仏陀が発見した瞑想法とされており、Cは仏教の教義に沿った試みであったのだと思われる。

以下、各瞑想法の概要について、まとめたものを以下に示す。

ここで取り上げた瞑想は、全てもともとはアナパナ・サティ・ヨガというヨガの呼吸瞑想法であり、ブッダ自身が修行中からおこなっていた瞑想法でもある。これの現代版が、ヨガのアナパナ瞑想に近いのではないかと考える。

ブッダの死後、仏教が枝分かれして、他国へ伝わっていく過程でこの瞑想技法に少しずつ細かな違いができて、各地域・宗派毎に手法が確立されている。

慈悲の瞑想についてはテーラワーダ仏教の他チベット仏教で主に行われている、生きとし生けるもの全ての幸せを願う比較的宗教色の強い瞑想法。

仏教(主に天台宗)では瞑想を止観ともいい、止(シャマタ:奢摩他=サマタ)と観(ヴィパシヤナ、毘鉢舎那=ヴィパッサナー)に大別している。
サマタ瞑想は、呼吸や特定の対象に集中し心を落ち着かせる瞑想。集中する対象は心の中のイメージや曼荼羅、念仏など様々である。現代のヨガのアナパナ瞑想もサマタ瞑想の呼吸集中版とも言えるか。

ウィパッサナー瞑想は、「現在をあるがままに見る」瞑想。具体的には、体の感覚、心の動きを観察し、実況中継するもの。仏教においては真理とされる無情、苦、無我を洞察する瞑想とされている。他の瞑想は安定した楽な姿勢で座った状態で行うが、ヴィパッサナー瞑想は座って行うものに加えて、手の上げ下げ、立ち座り、歩行、日常生活の動作をスローモーションで行い観察・実況中継、体の感覚を感じ取るという方法もある。
テーラワーダ仏教では、慈悲の瞑想、サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の順に修行を進めることとなっている。

歴史的に行われてきた坐禅の手法及び目的は宗派によって大きく異なるようだ。ただし、私自身の体験も含め現代の瞑想指導方法を見ると、現代のヨガのアナパナ瞑想および呼吸に意識を向けるサマタ瞑想に近いと思われる。坐禅では呼吸の数を数える(初期の指導に限定する流派もある)、半眼にする、手を法界定印とするなど、細かな作法でヨガの瞑想とは異なる部分があるが、大きくは同類のものと感じる。

マインドフルネスとは、ヨガおよび各種仏教の東洋の瞑想技法を、主にアメリカで医学・生理学などの研究者が宗教的要素を取り除き、現代の医療場面等に応用したもの。現在、様々な書籍や指導方法があるようだが、日本の著者が執筆したものには、サマタ瞑想、ウィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想全てを紹介しているもも散見される。ただし、主流はウィパッサナー瞑想であり、心理療法で用いられるのもそれである。


瞑想が脳に及ぼす影響

瞑想法の概要を整理したところ、それぞれの瞑想法が歴史的に深い関係にあり、現代では私のような一般人にとってはその区別を付けることに意味があるのかどうか疑問が生じた。もし、区別するならば、効果の違いがある場合と考え、それについても整理してみた。

瞑想の効果については瞑想法別に様々なことが紹介されているがどれも類似しており、また、科学的に裏付けられたものとは言いがたい。そこで、今回対象とした研究の手法は主に脳科学的な裏付けが示されているものとした。この視点からの研究は多数有るようだが、これらの研究成果においても結果に大きなばらつきがあったり、他のリラクゼーションと効果の差が無いとった結果も多い。

現在では、結果のばらつき等については、主に瞑想を行う主体の習熟度に大きく左右されることが指摘されている。十数年修行を続けているチベット仏教の僧侶と、瞑想の初心者であるアメリカ人大学生では、同じ瞑想の効果であっても結果が異なる場合があることは当然と言えば当然である。

脳科学面からの研究結果では、長期にわたる瞑想の習慣を持っている人は、他の人と脳の構造や働きに大きな違いが生じていることが明らかとなっている。このような事例は、楽器の演奏や特殊なスポーツを行っている人の脳においても、それ以外の人との違いがあることが示されており、長期的な訓練による脳の変化、可塑性は現代においては常識となっている。

では、瞑想の種類による効果の差にはどのようなものがあるのだろうか。現段階での個人的な結論は、「よくわからいことが多いが、瞑想の種類によって生じる脳の変化には若干の違いがありそうだ。ただし、具体的な効果については、推測は可能であっても裏付けるだけの結果が得られているわけではないらしい」ということだ。

以下、今回調べた範囲でのまとめを示す。

坐禅をはじめとするサマタ瞑想においては、瞑想状態の人間の脳波では、遅いアルファー波ないしシータ波が見いだされるという研究結果が多い。脳波の分類としては、日常的に頭を使っている状態ではベータ波が現れ、使っていない状態にはアルファ波が現れ、また脳の弛緩(傾眠)状態ではシータ波という波形が増えてくるとされており、サマタ瞑想ではリラックスした集中状態になっていることを反映していると考えられる。CTスキャンで脳の構造を確認する研究では、サマタ瞑想を長期的に行っている被験者では注意力などに関連する脳の前頭前皮質や前帯状皮質の厚さが増し、集中力が高まっているのではないかと推測されている。

一方、慈悲の瞑想の効果については、異なる結果が得られている。15年から40年の修行体験を行っているチベットの修行僧を対象に、安静時と瞑想中の脳活動を時間的経過とともに記録し、遠距離の皮質間の共鳴や、長期かつ持続的な神経可塑性を明らかにするという研究が行われた結果がある。その要約を以下に示す。

 慈悲の瞑想は、脳の広い領域にわたるきわめて早いガンマー波帯域の周波数での共鳴をもたらす(連続的なアハ体験)。その持続時間は、意図的にコントロールでき、かつて知られたことのない長さ -普通の「アハ体験」の約3000~6000倍- におよぶ。この瞑想は、共感か母性愛の神経回路を含む情動の回路を活発にし、苦痛に対して敏感にし、喜びを大きくする。また、行動の準備にかかわっている。さらに、瞑想は、一時的な変化をもたらすだけでなく、持続的に脳を変化させると推測される。慈悲を大きくし、他者の苦痛に対して敏感にし、喜びを増す。そして、ひらめきや直感と共通の脳の状態を持続する。

ガンマー波は、意識と深い関わりがあり、きわめて高い認知機能などと関連づけられている。

上で示したような変化が、どの段階から生じるのかが気になるところだが、初心者が毎日30分、2週間、慈悲の瞑想を行った場合の研究では、心身の自己評価の向上といった主観的な評価に合わせて、島皮質の活動を活発にする効果が見られたという。島皮質は体の状態の知覚に深く係わっているとされているが、それだけでなく情動や感情にも関連している。

これらの結果からは、楽器の演奏やスポーツの習熟と同じで、瞑想訓練が脳の活動・構造に大きな変化をもたらすには膨大な時間が必要であるが、取り組み開始から徐々に変化が始まることが示唆されている。

ウィパッサナー瞑想については、平均して9年間1日40分のウィパッサナー瞑想を実施してきたアメリカ人を対象とした研究がある。こちらは、MRIによって脳の構造を調べるという単刀直入のものである。MIRでは、瞑想実践者では、他の人たちと比較して右の前島皮質の体積が増大する、または、加齢によるその体積減少が止まるというものであった。この研究では、脳の物理的構造が変わることを端的に示している。右前島皮質は、身体内部の感覚を読み取って解釈する内受容体と情動知能を統合する役割を担っていると言われている。他の研究では、共感性の高い人ほど右前島皮質の灰白質が厚いことや、心拍活動の知覚に優れている人(内受容性の一種が優れている人)ほど、他人の感情や情動を読み取る力も高いことが示されている。

上に示した様な瞑想による脳の活動や構造の変化が、具体的に日々の行動や感情にどのような影響を与えているのかまではわからない。サマタ瞑想では集中力が鍛えられ、慈悲の瞑想やウィパッサナー瞑想では共感力が高ったり社会性が高まると推測されるようだが、それが我々の人生にどのような影響を与えるのだろうか?

様々な刺激にあふれ集中力を保つことが難しい現代においては、それを鍛えることで、自らの行動を制御し、よりよい人生をおくることができるようになるのだろうか?

また社会的動物と言われる人間の悩みや不安の多くは他者との関わり合い方や、関係性の喪失が要因であることが極めて多い。共感力が高まることで、それらに良い影響を及ぼし、ひいては、それが幸福感に繋がるのであろうか?

これらの疑問に対しては、別途、心理学的なアプローチでの研究なども合わせて紐解く必要がありそうだ。


ヨガの瞑想を行う意味

もし、私がクラスの受講者に「瞑想とは何ですか」とたずねられたときには、「(私にとっては)瞑想は、人間として生をまっとうするために必須の技術です。」と答えようと思っている。集中力を高めることも、共感力を高めることも人生をよりよく全うするためには不可欠なものと私自身は考えるからだ。

集中力を高める訓練は、瞑想の他にも存在し、これまでの人生において無意識に実行していたのを今回のエッセイを書いていてあらためて気が付いた。しかし、手軽で誰でもできる訓練としては、瞑想以上のものは無いのではないかと思っている。

もう一つ、クラスの受講者に「ヨガの瞑想と他の瞑想法との違いは何ですか」と聞かれた場合にどう答えるか。現段階では、「ヨガの瞑想では、アーサナを実施することが必須です。アーサナとセットで行うことにより瞑想が継続しやすくなり、瞑想が継続できることで瞑想の効果が得られやすくなる点が異なります。」と答えようと思っている。

ヨガ(特にハタヨガ)を考えたときに、アーサナ、プラナヤマといった体・呼吸へのアプローチが大きな部分を占める。瞑想のために行うこれらの準備は、他の瞑想法ではあまり重視されない。例えば、マインドフルネスや坐禅では姿勢や呼吸に関しての指導は軽く行われるが、体へのアプローチ(アーサナ)は全くと言っていいほど指導は行われない。

ヨガだけで行われるアーサナは、実施することによって徐々に瞑想を行いやすい体を作っていくが、結果、瞑想を継続してやりやすい状態になっていくと言える。また、アーサナ自体が気持ちいいものであるし、体が少しずつ変化するため成長している実感も得られ、瞑想のみよりアーサナと瞑想のセットの方が継続しやすいと感じている。

瞑想の恩恵を受けるためには、継続して日常的に行う必要があることは今回確認できた研究成果からも明らかだ。しかし継続は難しい。瞑想の有用性を理解したり意識付けをするだけでは継続は困難で有ることは自ら体験済みだ。しかし、気持ちいい、楽しいという感覚があると、継続することはぐっと楽になる。この点を伝えられる指導者になれればと思っている。


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